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堀北真希と皇女和宮(ぼく自身読みたくなったので再掲載)

堀北真希が演じたのは孝明天皇の妹君、和宮親子(ちかこ)内親王

撮影は2008年5月28日から9月26日まで。

当時堀北は20歳の誕生日を迎える直前の19歳であった。

許婚の有栖川宮熾仁親王と別れさせられ、時の征夷大将軍徳川家茂に嫁ぐことになった、和宮

当時家茂も和宮も十代半ばの若さであった。

大河ドラマは、セットが完成したものから順番に撮影が行われる。よって、撮影がストーリィに沿って行われるわけではない。

だからシナリオに描かれた時代の背景、人物の絡み合いなど、台詞以外にもいちいち把握しておかねばならない。

当時、観た感想では、宮崎あおいの演じっぷりが堂に入っていて感心したが、いま観てみるといささか演技がパターン化しており面白くない。要は手あかがついた演技と言える。それよりむしろ和宮を演ずる堀北真希の方が、その場面場面での演技が的確で、類型化しておらず、臨機応変に演じているのがわかる。つまりですね、演技を惰性とか、小手先の癖で演じていないのだ。

その抑揚は少ないものの微妙な変化に富んだ演技は、通して観ているとわかってくる印象がある。

宮崎あおい瑛太などに比べると、出番は少ないものの、出るたびに微妙に変化している様子を彼女は手探りながら、抑えた演技ではあるけれども、演じている。それが実に興味深いのである。

(小手先で演じていない分、観ていて観飽きない。繰り返し観ても飽きないというのは、いい演技をしている証拠だと思うが。)

だが、宮崎あおいの弁護するわけではないが、実際の人間の行動様式を観ていると、大半の人間は行動がパターン化している。しゃべり方、表情も同じくである。だがそれをドラマでやると観客は飽きてしまってつまらない。

だから?現実にはいそうもない?類型化しない行動様式を持った人間を演じると面白いし、多彩な表情、多彩なしゃべり方をすると、面白い。

オーヴァーアクトの正当性もそこにあるように思える。だがそんな人間はこの世に存在しない。よって娯楽映画はどんどん現実からかけ離れたものになってゆき、真のリアリティとは何かも判らない作品ができあがる。

篤姫」の堀北真希の話に戻る。寝所での家茂との会話もけっこうあるが、ここも、穏やかで柔和でありながら、強い意志の力を感ずる演技で印象深い。

特に印象的なのは、大御台所、天璋院との軋轢を演ずる場面である。笑って公方さまを見送った天璋院を凄い眼を持って睨みつけたあの場面。堀北真希の凄みを感じたのは確かであった。

堀北真希の本作での演技は、何も変わらないようでいて、少しずつ変化している。撮影している順番はでたらめなのに、通して観ていると和宮の成長が伺えるというのは、堀北真希がどれだけシナリオを熟読しており、演出家の要望通りの演技をしているかの証左となる。

この仕事の約3年後、「梅ちゃん先生」主演のお声がかかったのもその実直な仕事ぶりのためであろう。

堀北真希を観ていると、いにしえの名作「第三の男」で冷たい美女を演じたアリダ・ヴァリを思い出す。彼女も表情は氷のように揺らがず、静かな演技に徹していた。

この「篤姫」での堀北も、中村メイコ稲森いずみ宮崎あおいらの芸達者と言われる女優たちの演技との絡みがあるにもかかわらず、存在感を発揮している。彼女はそこにいるだけで何か独特の雰囲気を醸し出すようなところがあるが、このドラマでもそれは遺憾なく発揮されている。

商業映画独特の大向こうを得意にさせるような、オーヴァーアクトを彼女はやらない。

そのため「台詞に抑揚がない(抑揚がないのではない。意図的に抑揚を抑えることで皇女の品格を表現しているのだ。そう思わせるだけの説得力が、彼女の演技にはある。)」とか、「無表情(和宮がそこいらの町娘のように表情の弾けるような少女だったらおかしいと思う。)」とか言われるが、商業映画に毒されたそいつらは、例えばイングマル・ベルイマンの映画を十本も観て、顔を洗って出直してこい、と、ぼくは言いたいのである。

この時堀北は19歳である。

他の有名女優が19歳のとき、どんな映画やドラマに出、どんな演技をしていたか、比べてみたら、彼女がいかに良くやっているかが身に沁みて分かる。それゆえ、どれだけ有望な女優だったか。痛いほどわかるのだ。

もうひとつ印象的なのが、和宮懐妊?という場面。

観行院に打ち明ける場面からして、懐妊というのもあどけなさすぎる堀北のその表情が、なんともかわいらしかったのを覚えているが、その柔和な笑顔にこっちまで和んでしまう、そんな想いに浸ったのはぼくだけではあるまい。

女優は誰も泣く演技は得意であるが、笑う演技が下手な女優が多い。宮崎あおいもその例に漏れない。ワンパターンなのである。

堀北真希はどうだろうかと観てみる。和宮の懐妊?の場面、同時期のイノセント・ラヴでの演技、ALWAYS続三丁目の夕日での笑顔。あまりパターン化していない印象である。極めつけは野ブタ。でこのとき彼女はひきつるような笑顔しかできない少女を演じていた。その頃から堀北真希は笑顔の演技の抽斗(ひきだし)を幾つも持っていたことがわかる。他の女優の演技との差別化は、これだけを採ってみてもできる。

そして、想像妊娠だったと判明する和宮の落胆を天璋院が見舞う場面の堀北真希の演技。ここの台詞回しが、ぼくは好きで好きで仕方がない。ほんとうにいい台詞の言い方だと思う。

堀北真希はこの大河ドラマの演技において、不必要な涙を流さない(他のドラマでもそうであるが)。何かと言うと涙を流す宮崎あおいとは大違いである。

そういうところも好きなんだな。

このドラマにおける堀北真希のダメ出しをしておく。

観行院と庭田嗣子の死の場面、孝明天皇崩御されたという知らせを受ける場面の堀北の演技は単調である。面白くない。